あの時のお礼を言いたかったんだけどさ。どう話しかけたらいいのかわからなくて――ずっと、言えなかったんだ」

「気にしないでよ。そんなの。それに、お礼なんて『あの時』の握手で――」
『十分だったのに』と言いかけて、

(ええっ………………!?)

僕は、言葉を失う。

僕の中の狛江さんは、相手を見下ろしたり、三白眼で睨んだり、まっすぐ見つめたりで――要するにいつだって自信満満だ。

それなのに、いま僕を見ている狛江さんは――
「あの……さ」
――ちょっと上目遣いになっていた。

あまりに弱気な感じで、自信なさげな感じで、
僕の反応を窺ってるみたいで、
あまりに意外というか、違和感がありすぎて……

「あのさっ」言い直して、深く息を吐いて
「あの、さ……」もういっかい言い直して、それから狛江さんは言った。

「三上くんが初めてだったんだ。ああいうことする人」
「初めてって……自転車を投げたこと?

「まあ……そうなんけど、それだけじゃないっていうか……でもやっぱりそうなんだけど、違うっていうか……だから!違うんだ!三上くんは!

違うって?

「これまで、自分が喧嘩してると、横から口を挟んでくる男って、結構いたんだ。逃げろとか、俺が代わりに喧嘩するとか、そういうのは……いっぱいいたんだ」

確かに、僕も腕力に自信があったら、そうしてたかもしれない。

「でもさ……自転車投げて来た奴なんて、一人もいなかった。なんていうかさ、自分の予想を超えるっていうか、自分じゃ思いつかないようなことをしてきたのって、三上くんが初めてだったんだ」

何も考えてないだけだったんだけどね。

「それで……流石だなって。やっぱり違うなっ……て」

え?
流石って……
やっぱりって……
僕たち、あの時が初対面のはずでは?

「自分は……『麗レイコの生まれ変わり』って呼ばれてて……まあ、レイコさんは死んでないんだけど……大変申し訳なく思ってるんだけど……そう呼ばれて、自分は嬉しく思ってるわけでさ。三上くんは『レイコさん』の息子なわけで……気になってたんだ。レイコさんの息子が、どんなヤツなのか……」

じゃあ、あの喧嘩の時には、既に僕のことを認識していたわけだ。

「それで、入学式の日も注目してて、そしたら、あの、チラ見したりしてたんだけど、その……いや、あの、あれなんだけど、ちょっと……よくわからなくって

ああ――いいから!
自分が弱火というか、陰影が少ないというか、ぼんやりとした印象しか与えられないのは、ちゃんと自覚してるから!

「わからなくて……」

言葉を濁して言ってくれただけで十分だから!
だから――狛江さん。

「本当に、よくわからなくて……」

そんなに済まなさそうな顔しなくていいから!

「それで……さ。家に帰って、どういうやつなんだろう?って考えながら散歩してたら喧嘩になって、そしたら……そしたら……ほら、」

狛江さんが指差す方を、僕は見た。
そこは、流れる雲の隙間に、星が瞬く夜空

「空から自転車が降ってきた」

再び地上を見ると――
ニヤリとエヘヘの中間ぐらいの顔で笑う狛江さん。

首から、お守り袋を提げている。
母さんに渡されて、中に原稿用紙を入れた、あれだ。

あの原稿用紙に、狛江さんは、なんて書いたんだろう?

僕は、こう書いた――

よくわからない
特別な人
ずっと一緒にいたい

――でも、それはきっと、もっと単純なことなんだ。

狛江さんは、別名『バイオレンスJK』の超美少女だ。
高校入学から今日までで、百七十六人が告白して、ふられている。

一方の僕はといえば、ロボットで、人間ではないらしくて、
そして――

「好きだよ。狛江さん」
「…………あ」

僕の告白に、狛江さんはジャージの襟で顔の下半分を隠すと、目だけで右を見て、左を見て、また右を見てから僕を見て、それから……手を差し出した。

「…………よろしく」

――百七十七人目には、ならずに済んだらしかった。

<終わり>