別に、母さんのパンチに死の恐怖を感じたからとかそういうのじゃなくて、記憶の奥のつながりで、ちょっと思い出していた――よく聞くこんなフレーズに関する思い出だ。

『死に直面した人間の脳内では、走馬燈のごとく過去の記憶が巡って見える』

誰からなのかは分からないけど――僕が初めて聞いたのは、四歳の時だった。
疑問に思って、思ったまま僕(当時四歳)は訊ねた。

「走馬燈って、なあに?」


自販機と、黄色い看板の貼られた電柱のある角を曲がれば、あとはまっすぐだ。
自販機と、黄色い看板の貼られた電柱のある角を曲がった。

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舌っ足らずな質問に、最初に答えたのは、叔母のヒカリ(当時八歳)だった。
「あのね、あのね。うーん。うーん……メリーゴウランドみたいな?感じかな?」
と、やや装飾過剰気味な黒いブラウスの袖を弄りながら、八歳の少女なりに真摯に回答してくれたのだけど……

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自販機と、黄色い看板の貼られた電柱のある角を曲がれば、あとはまっすぐだ。
自販機で、白い服を着た女の子が何か買おうとしている。
あの指の位置からすると、多分、ペットボトルのお茶だ。
僕は、彼女の背後を通って、電柱のある角を曲がった。

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メリーゴウランドみたいなもの。
そう言われても、僕(当時四歳)には、そもそも、メリーゴウランド自体が何なのかすら分からない。
(???)
自分の頭の上に浮かんだ疑問符を、僕は見上げていたはずだ。
さぞや可愛かったに違いない。

ずいっとフレームの外からアップで登場し、僕をのぞき込んできた叔母のコトリ(当時十三歳)がどんな表情をしていたか――とりあえず、その時感じた不可解さについては、十二年経ったいまでも、忘れていない。
そして、現在の僕(今年で十六歳)にはわかる。
あの時、コトリは明らかに――欲情していた。

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自販機と、黄色い看板の貼られた電柱のある角を曲がれば、あとはまっすぐだ。
自販機で、白い服を着た女の子が何か買おうとしている。
あの指の位置からすると、多分、ペットボトルのお茶だ。
その横で、黒い服を着た女の子が、ニヤニヤ笑いながら立っている。
おそらく白い女の子の死角で、暖かいコーヒーのボタンを押そうとしていた。
僕は、彼女たち背後を通って、電柱のある角を曲がった。

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「……お義兄ちゃんと、お姉ちゃん……両方の血を引いた、この顔、この身体……加えて、初恋の相手の子であり、それを奪っていった恋敵の子であり、甥でもあるという私との関係性……イケる……イケる……イケる!」
僕の両足を撫で擦りながら、鼻息を荒くするコトリ。

「お、お姉ちゃん!倫太くんに何するの!?」
慌てふためくヒカリに、コトリは、こう答えた。
両脇に僕の脚を抱えて、ぼそりと、

「……ジャイアントスイング」

そして、回り始めた
僕の中に『世界』という言葉――いや『世界』という概念が生まれた瞬間だった。

「……いち……に……さん……し……」

コトリの、まったくスピード感の無いカウントとは裏腹に、
「ひゃあっ!お姉ちゃん!そんなに回したら、倫太くんの中身が偏っちゃうぅぅ!」
『世界』が、凄いスピードで回っていた。

荒くなるコトリの鼻息。
「ふんか、くんか、ふんが、くんか、ふんか、ふんが……」
わからないのは、欲情がどうしてジャイアントスイングに繋がるのかという点なのだけど、自分も思春期を迎え、当時のコトリより年上になった現在の僕なら、そのうち理解出来るようになるのではないかと思っている。

そして……

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自販機と、黄色い看板の貼られた電柱のある角を曲がれば、あとはまっすぐだ。
自販機で、白い服を着た女の子が何か買おうとしている。
あの指の位置からすると、多分、ペットボトルのお茶だ。
その横で、黒い服を着た女の子が、ニヤニヤ笑いながら立っている。
おそらく白い女の子の死角で、暖かいコーヒーのボタンを押そうとしていた――と、その動きが止まった

理由は、ひとつしかありえなかった。
僕が、歩くのを止めたからだ。

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そして僕(当時四歳)は、一瞬で理解していた。
走馬燈がどんなものなのか。
走馬燈のように景色が巡って見えるというのが、どういうことなのか……
もっとも、走馬燈が回ってるのを見るのと、走馬燈のように回って見るのとでは、まったく逆ではあるのだけど。

ちなみに、ジャイアントスイングは、母さんの現役ヤンキー時代の得意技でもあったらしい。

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そして僕(今年で十六歳)は理解する。
どうして僕は、朝からこんなことを考えているのか、その理由を。

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いま僕は、目の前にある角を曲がれずにいる。